SEED SAGA LINKAGE PHASE-01-5

 

 
 
 
 ガサガサガサガサガサ、ドサズササササー、ドサ。
「……っつ〜っ」
 背中が木にぶつかり、下に落ちていた体が止まった。痛む背中に顔をしかめつつ、土だらけになったズボンをはたきながら、俺は再び前のめりになった。
「これの……何処が道だ!」
 地図に示されていた道であるはずの現在地は、草と木の枝に阻まれたケモノ道だった。いや、道ではない。坂だ。ケモノ坂だ。
 足すら草で見えない。今も足をかけた石が外れ、派手に転んでしまった。コーディネーターである俺が普段の状態でそんなミスなどするはずがない!
「ハァハァハァ……これで……祠がなかったら……ゆるさん、キラ……ヤマト」
 明日の夜までにクリーニングできるだろうか、と土や草木の汁で薄汚れてしまったスーツを気にしながら、延々と続く山道を歩いていた。最初は緩やかだったものの、木々の枝で終わりが見えない、壁に近い坂(おそらく60度以上ある)になったせいか、それともプラントよりも重い重力での久々の運動のせいなのか、俺は疲れはじめていた。
(くっ……しっかり、しろ、イザーク……ジュール。白服が……泣く……ん?)
 自分で自分を叱咤しながら登っていると、しばらくして坂の上が見えてきた。すると、多少元気が出てきたのか、無意識にスピードが上がったのか、思ったよりは早く登りきった。
 しばらくは地面に両手と膝をつき、肩で息をしながら下を見ていたが、落ち着いてくると目の前の状況が気になってくる。ゆっくりと顔を上げていく。目の前のものを認識した瞬間、俺は今まで感じたことのない驚嘆に支配されていた。
 20メートルの高さはある切り立った崖一面に広がる、巨大なレリーフ。何か得体の知れないものと必死に戦い、傷つき、災厄によって滅びつつも抗おうとする人々の姿。それは繊細を好むプラントでの芸術とはまったく違うものだった。荒々しく、大雑把で記号的だ。だが、力強く、いつまでも見ていたい、でも俺が見るにはあまりにももったいない、それでもやはり見ていたい、と今まで感じたことのないような複雑な感覚にとらわれる。
(……いや、一度だけある。あれは……)
本物のクジラ石を見たときだ。幼い日、母に連れられて行ったアプリリウスの研究所で、羽の生えたクジラの化石エヴィデンス01に初めて出会ったとき、今と同じ気持ちになった。見ることがもったいなくて、でも見たくてしょうがなくて、顔を隠した両手の隙間から必死に石を見ていた。そんな俺を、母を含めた大人たちはただの化石だと笑った。馬鹿にされた気がしたのか、悔しくて、同じ気持ちになってくれなかった母を見て、悲しくなった……そしてそのまま嫌な思い出として忘れていたのだ。
(……なさけないな、俺は。こんな気持ちを封じるなんて)
 今ならば、どんな嘲笑を受けても平気だ。むしろ、分からない人々のほうが可哀想だ。この気持ちはそう思うほど、何故か心地よい。恍惚といったほうがいいかもしれない。
(全体を見てみたいが……)
 後ろを見ては溜息をつく。先ほどの木々の生い茂る坂が足元に広がっている。対して目の前の崖は3メートルほど先。どんなにがんばっても、下から見上げる格好になる。
(まぁいい……)
 できないことにしがみつくより、まずできることだ。俺はレリーフに近づいて、触ってみた。すると意外なことに気がついた。
(……これは、意外と新しいのか?)
 切りそろえられた大きな安山岩をいくつも崖に埋め込み、手作業で彫られえたこのレリーフは、一見すると千年以上経っているようにみえる。だが、触っているとレリーフの端などでところどころ、あまりざらついていない場所がある。これは、風化があまり進んでいない証拠だ。この部分だけ見れば、二百年も経っていないのではないか?わざと古びたように作られているのだろうが、何故そのようなことをするのだろう。俺はレリーフの端をじっくりと観察した。すると、小さいがえぐれた傷がいくつもついていることが分かる。ということは、ここには別の何かがはまっていたのだ。わざわざレプリカでもはめなおしたのだろうか。
(だがこんなレリーフの写真、見たことないぞ?)
 もともと民俗学の隣接分野である考古学の知識は(多少ではあるが)かじっている。特にオーブは俺にも馴染みが深い国だ。同じく馴染みの深い旧本国である大西洋連邦とは異なり、前世紀の伝統や遺物が残っている場所でもある。だからここ数年、取り揃える本は自然とオセアニア関係が増えてしまった。当然遺跡などの資料集もかなり読んだ。再構築戦争の前後に多くの遺跡が破壊された為、世界中のありとあらゆる場所に調査の目が入っている。それこそ、地雷原や汚染地域にもだ。なのに、これほど大規模なものが発見されていない?ありえないことだ。意図的に隠していない限りは。
(だが何の為だ?)
 何かオーブにとって都合の悪いものを隠す為?それとも……
(この新しいレリーフ自体に何か意味があるのだろうか)
 どちらの理由でも、目の前にあるのはこのレリーフだけだ。ならばまず、このレリーフを見るしかない。
(しかし……本当に素晴らしいレリーフだな)
 最近のものだと分かっても、最初の驚嘆は薄れていない。むしろ、一つ一つ情報が分かるごとに、楽しくなっている。
 俺は子供のようにワクワクしながら、レリーフを触りつつ上を見上げて歩き出した。
  
  
  人々は生きていた。田畑を耕し、狩をして穏やかに。
  だが人々は争いはじめた。剣を振り、盾を持って愚かに。
  天から悪魔がやってきた。とても恐ろしく強大な。
  人々はもっと争いはじめた。まるで悪魔に操られるように。
  傷ついた人々は嘆いていた。愚かな人と弱い自分に。
  そのとき天の使いが現れた。足が魚で背に羽の。
  使いは人々に手渡した。1つの本と1人の赤子を。
  傷ついた人々は造りだした。高い塔と続く橋を。
  そのとき悪魔が飲み込み出した。家も田畑も愛する人も。
  すると美しき女神が現れた。赤子と同じ印を持つものが。
  女神は人々を導いた。塔の上にある船へ。
  
  
(こんな感じだろうか)
 とりあえずレリーフに刻まれている彫刻に、簡単な物語をつけてみた。(文字が一切刻まれていないため、前後の関係を把握するには自分で考えるしかない)そうすると、ところどころ、どこかで聞いたことのある話のような気がしてきた。
(だが何処だ?)
 ……さっぱり思い出せない。それどころか、どの部分が聞いたことあるのかすら分からない。だが、なんとなく知っているような気がする。俺はしばらくの間、上を見上げながら腕を組んで記憶を探り始めた。だが、血の巡りが悪くなったのと首が凝っただけで、何一つ思い出せない。
 そういえば昔、子供だと馬鹿にされるのが嫌で、絵本や児童文学を捨てて、無理に古典文学に走ったことがあったな。思えば本当に子供っぽい考えだが、分からないなりにも読んでいると、そのうち古典の中に描かれている知らない世界が意外と面白かった。それが本当にあったことだと知った後は、好奇心から昔の文化を調べ始めて、さらにそれが今でも受け継がれているとわかると、民俗学に本格的に興味を持ち出して現在にいたる、と。古典文学は今でも読んでいるし、大体覚えている。だが、放り出した絵本の内容などさっぱり覚えていない。もしかして、その記憶にない絵本の中に書かれていた内容なのか?
(子供の頃か……)
 ふと、親戚連中に好奇の目で見られている自分とそばで悔しそうにしている母の記憶が頭に浮かび……一気に不愉快になった。
(いかん、いかん。折角こんな場所にいるのに)
 気分を元に戻す為、首を振りながら頭を下ろした俺は、レリーフの終わり、ちょうど女神が人々を船に導いた彫像からほんの1メートルほど離れた隣に、小さな穴があることに気づいた。近づくと、それは縦横高さ、すべてが50センチほどの小さな祠だと分かる。あまり手入れがされていないらしい祠の中央には、バランスの悪いヒョウタンのような(極東で発掘される、土偶という石像によく似ている)、神らしい小さな石像が置いてある。胸(と思われる部位)に、大きな丸が二つ刻まれているところから、女性像らしい。
(これが、キラ・ヤマトの言っていた祠か)
 俺はちょっとした感動に包まれていた。実はこんな『何もない場所』でこのような歴史的資料に出会ったのは初めてなのだ。
 プラントは地球との相互理解のため(とは言っているが、実のところ、相手の行動パターンや感情を読み取るため)に(最低限)必要な文化研究しかしないため、このような歴史的資料はレプリカぐらいしかない。しかも、俺は研究員ですらないので、せいぜいケースの向こうの展示品ぐらいしか見たことがない。(たまに価値の低い、壊れたものや破片をオークションなどで入手して、喜んでいるぐらいだ)それどころか、現在の地球で行われている伝統文化の資料どころか書籍すら入手が難しいのだ。(おかげで一度オーブにきたとき、つい浮かれて、市で売っていたお守りを後先考えず大量購入してしまった。母上はこのようなもの好かれないので、家に持って帰ることもできないから、結局部下達に配ったのだが)
 こんなに近い場所に、こんな神像がある。しかも今まで見てきたプラントの粗悪なレプリカとは違い、間違いなく本物だ。実際に目にすると先ほどのレリーフと同じ、なんとも言えない感覚にとらわれる。
(……すまない……いや、スミマセン)
 誰にかすら分からないが、俺は謝りながらそっと神像に触れてみた。小さいながらもずっしりとしているそれの重みを感じた瞬間、離しがたい、ずっと持っていたいという激しい衝動と、そう思う自分の愚かさに対する悲しみが襲ってきた。
「……しっかりしろ、イザーク・ジュール!」
 俺は自分を叱り飛ばした。唯の来訪者である俺に、これを持ち去る権利などあるはずがないだろうが!ほんの少しだけ、触れさせてもらうことすらもったいないことなのだ。そうだ、もう少し見たら帰そう、帰すんだ。
 俺は、そっと神像の表面をなでた。かなりザラザラして風化がすすんでいる。かなり古いようだ。俺は触れたことがないが、もしかしたら千年、いや二千年以上前のものかもしれない。そう考えると、ますます俺などが触れていてはいけない気がしてきた。元の位置に、できるだけ丁寧にそっと神像を戻す。そのまましばらくじっと見ていたが、いつまでも見ているわけにはいかないので(日が暮れると帰れなくなる可能性すらある)、未練を振り切るように頭を上げる。
 ちょうど俺の目の前に、祠の上の部分があった。そこには、少々変わった印が刻まれている。小さな雫から生えた2枚の大きな羽。それが大小二つの丸からなる二重丸を包み込むような印だ。何となく、オーブの印にも、地球連合の印にも似ているような、でも確かに違う印だ。
(これは確か……)
 俺は上を見上げた。レリーフの赤子や女神が持つ印もこの印だ。この印自体に何か理由があるのだろうか。俺は祠の上の印を観察してみた。やはり神像よりも風化していない。これも最近(といっても百年以上前)刻まれたものだろう。
 
「後でカガリ様に聞いてみるか」
 そう俺がつぶやいたとき、真上からガサッという音と共に、多くの木の葉が舞い降りてきた。それは、まるで鳥の羽のようにふわふわと俺の周りを静かにゆっくりと落ちていく。
まるで時間がゆっくりと流れるような、
「うわ、ドケ………!!」
 時間が止まるような感覚が、上を見上げた俺を襲う。まるで一枚の絵を見ているかのように。
  太陽を背に舞い降りる、金色に光る女神の絵を。
  
  
  
 

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